So-net無料ブログ作成

和の内装 7・31 [2017年写真]

DSC02286.JPG大阪まで行くのもありますので、外装などは規格通りです。ただ、内装はこれ。二列×二列もいい。1時間40分ほどで博多に着く。もう、帰り道だ。えっ、黒豚ですか。わがアイデアが通りました。

nice!(0)  コメント(0) 

鹿児島中央 731 [2017年写真]

DSC00087.JPG鹿児島中央駅に戻ってきました。市民はなにをしてるのでしょうか。わかりません。それどころか、2時すぎの新幹線に乗るというのです。つれはキャリーケースをホテルのフロントへ取りに行ってしまいました。ということは、「黒豚とんかつ」を食べる時間がない。どうしよう。

nice!(2)  コメント(0) 

磯庭園 7・30 [2017年写真]

DSC00083.JPGシーサイドパレスは、桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた、雄大な庭園でした。いろんなものがありましたが、暑くて、ソフトクリームがいちばん印象的でした。写真は、島津家の正門で、門だけ移築されています。「篤姫」の撮影に使ったとか、でも、明治に造られたもののよう。さ、どこかでお昼を。黒豚ですね、食べるとしたら。

nice!(1)  コメント(1) 

櫻島噴火 7・30 [2017年写真]

DSC00079.JPG島津家の別荘を見たい、仙巌園(せんがんえん)というのだが、町の人はそんなに、むずかしくいわない。海岸べりにあるので、「磯庭園」と呼んでいる。ビーチ・ガーデン。小型バスが市内をぐるぐる回っていた。カゴシマシティビュー、200円か、城山など、最前から利用している。なぜか、床が高い。乗車口の急でせまい階段を2段か3段のぼらなければならない。で、文句はそこまで。北に向けて海岸線を走っていると、音はしなかったが、煙が上がった。「あっ、噴火、噴火」と騒いだのは、わたしだけ。でも、島に歓迎されたような気分になった。いい気分。

nice!(2)  コメント(0) 

洞窟 7・29 [2017年写真]

DSC00078.JPGDSC00077.JPG城山の奥、谷になったところに洞窟があります。下の写真にかろうじて写っていますか。人吉から逃げてきた西郷軍はここにひそみます。すでに政府軍(徴兵制で集められた軍)が港に上陸しています。薩摩の農民、町人のほとんどは、西郷に加勢しませんでした。「もう、ここいらでよか」との名言を残して西郷どんは洞窟を出て、鶴丸城のそばで死にました。敵の弾に当たって歩けなくなり、部下に介錯を命じたと言います。

nice!(2)  コメント(0) 

西郷隆盛像 7・29 [2017年写真]

DSC00075.JPGフェリー到着の岸壁から西に1キロほどに、かつての鶴丸城址(鹿児島城址)があり、ちかくにこの銅像が立つ。背後が城山(しろやま)。一帯が薩摩藩の中枢の地である。いかにも田夫(でんぷ)然としている。大久保のシャープとは正反対で、土地では「サイゴウどん」である。わたしの評価は、廃藩置県をさかいにして、かれの思想は未来を見通す力を失っていた。それがわかっていて、郷里に戻ったのかもしれない。近代化を押し進める竹馬の友と対立し、時代錯誤な士族の挙兵を統率し、敗北する。

nice!(2)  コメント(1) 

軍艦 7・28 [2017年写真]

DSC02282.JPGおおっ、軍港でもありましたか。フェリーで15分のこの湾に、イギリスの軍艦7隻が侵入してきて、藁ぶきの民家に砲弾を撃ち込んだのです。またたくまに炎上し、町は灰燼に帰しました。「攘夷」の教条は打ち砕かれ、島津はひそかに英国から武器やガラス製品などを輸入した。港が交易に役立ったのです。

nice!(2)  コメント(1) 

わだつみ 7・28 [2017年写真]

DSC02281.JPG海もまた、神話の世界。高千穂に降臨したニニギノミコトはコノハナサクヤヒメと結婚し、あの海幸彦と山幸彦をもうけた。弟のほうが海底にもぐり、竜宮のトヨタマヒメと結婚した。天皇家の祖というフィクション。その「海神(わだつみ)の宮」もここにある。なお、海幸・山幸の長い名には、「火」という文字が複数ふくまれている。桜島が噴火したか。わたしたちは、タッチ・アンド・ゴーで引き返します。

nice!(1)  コメント(1) 

島と帽子と月見 7・27 [2017年写真]

DSC02275.JPGフェリーの最前部で、朝食です。もう、動いています。錦江湾(きんこうわん)へ出ます。帽子は人吉で買いました。東京なら3000円でしょうが、7000円もしましたよ。月見うどんは、セルフサービス。200円ほどかな。支払いはすべて、つれがやってくれます。いよいよ桜島へ。

nice!(1)  コメント(0) 

港町カゴシマ 7・27 [2017年写真]

DSC02272.JPG桜島をむすぶフェリーが、鹿児島駅に接続したのも当然だった。明治末、鉄道ができて、始発駅を港に置いた。荷物や水産物が貨車に移され、山を越えて熊本に運ばれた。ここには、倉庫や旅館や役所がならんだ。史書がその交易港にふれないで、城下町だとか、芋の産地とか、畜産の発展ばかりいうのはおかしい。もしかして、江戸時代に琉球と密貿易をしていたころの秘密主義が尾を引いているのか、冗談です、そんなことはあるまい。

nice!(2)  コメント(0)